5.「地球最後のオイルショック」を読んで



大変ショッキングな本が出たものだ。

デイヴィッド・ストローン(David Strahan)著       高遠裕子訳

「地球最後のオイルショック」(The Last Oil Shock)  新潮社 1500円


本の裏表紙には次のように書かれている。

「マイカーを手放し、ジェット機に乗れない日を、想像できますか?

2010年代、世界の石油は枯渇に向かいはじめ、もう二度と増産はできない。ピーク・アウトを超して何の対策も講じなければ、その衝撃はサブプライム問題の比ではない。世界中で株価は暴落し、物価は高騰し、失業者は激増、アメリカ型経済モデルは崩壊するだろう。豊富な資料と、世界の石油関係者170名あまりの取材をもとに書いた衝撃のレポート。」


そして、「訳者あとがき」には以下の文章が掲載されている。

「この原稿を書いている2008年4月末現在、事態は、著者デイヴィッド・ストローンが予想したとおりの方向に進んでいる。原油価格は高止まりし、天然ガスや石炭の価格は急騰している。アメリカでは、燃料費高騰に後押しされる形で、大手航空会社2社が合併を発表した。トウモロコシなどの穀物は、燃料との奪い合いで価格が高騰し、世界的な食糧危機が懸念されている。すでにラスト・オイルショックは起こりはじめているのだろうか。

原油は今年に入り、1バレル=百ドルの歴史的な大台を突破した。その後も大きく値崩れすることなく高止まりしている。1バレル=50ドル台で推移していたのは、ほんの3年前のことである。いったい、原油に何が起きているのか?



                       フィジー・ナンディ郊外


現在の価格高騰の要因としてメディアでよく挙げられるのが、原油市場への投機資金の流入である。だがそもそも、原油価格が当面高値で推移するとの「見通し」がなければ、投機資金も流入しないはずである。では、そうした見通しを支えている根拠は何なのか?そのひとつに、「ピーク・オイル」論があると言われている。

ピーク・オイルとは、世界の原油生産がピーク・アウトし、伸び続ける需要に追いつかなくなる現象をさす。「枯渇」とはちがって、原油が完全になくなるわけではなく、埋蔵量の半分が生産された段階でおこる。もともとは、シェルの地質学者であったマリオン・キング・ハバートが、1956年にアメリカの石油生産のピークをほぼぴたりと予想したことで注目された考え方だが、その後、新たな油田が発見されて原油埋蔵量が増え続けたことから、長らく忘れ去られていた。が、ここ数年、新興国を中心に需要が旺盛な伸びを示すなかで、供給不安を想起させる事態が相次いだため再び注目を集めるようになった。」云々


石油がやがて枯渇するだろうことは、漠然と感じてはいた。只それは遠い将来であり、自分の人生には関係がなかろう、位の認識であった。それが如何に浅はかな認識であったか、後ろから思い切り頭を殴られたような、ショックを覚えずにはいられない。

この書で論じられているのは「ピーク・オイル」の概念であり、「枯渇」とは違う。確かに世界の石油が「枯渇」するのは、つまり、一滴もなくなるのは40年ほど先の話かも知れないが、ピーク・オイルは、もう目の前に迫っていると言うのである。その時、世界経済が受けるショックはどのようなものになるのか?そのショックを少しでも和らげるには、何をしなければならないのかが論じられているのである。


            フィジー・マナ島


マルクスが資本論を書いていた頃の社会では、産業革命が始まったばかりで、石油、石炭等の地下資源が有限なものとの認識は全くなかったし、今日ほど世界中が石油に依存した社会でもなかった。したがって、オイル問題は、資本論では全く触れられていないテーマである。その後、近代産業の発達と、人口の幾何級数的増加に伴い、世界の石油の消費量は、おびただしい量になり、気が付いたら石油なしでは一日も暮らせない社会に変貌していた。

これは、「資本主義だ、共産主義だ」と言っている場合ではない。「剰余価値だ、搾取だ」の話も、ピーク・オイルを目前にしてはほとんど色あせて、陳腐な議論にしか聞こえない。全く次元を異にする問題である。共産主義なら、石油がなくならないと言うこともないし、共産主義なら、石油が必要ないと言うこともないからである。実は、資本の運動論から「生産、販売、分配」のそれぞれの部門を検討してみると、資本主義と共産主義との相違は、案外少なく、むしろ共通する部分の方が多いことに気が付くのである。

私は、近い将来、共産主義、資本主義というテーマよりもっと大きな問題が出現して来るのではないかと感じていた。それが地球温暖化の問題なのか、水不足の問題なのか、人口爆発の問題なのか、いずれも大きな問題で、的を絞りきれないでいたが、より間近に、より具体的に、石油問題が出現したと言っても良いのではなかろうか。

石油の産出量が消費量より少なくなって、石油が不足するようになった時、衝撃が少ないのは、石油に頼らない生活をしている人々だけである。現在ではほとんど考えられないが、自給自足の生活をしていて、近代産業の恩恵を受けていない人々である。

マルクスの資本論は、20世紀のテーマとしては一定の意義があったと思うが、もはや、21世紀のテーマではないように思われる。既に遅きに失しているかも知れないが、政治的にも、経済的にも、一時も早く「ピ−ク・オイル」問題に正面から取り組むことが迫られている。

                              フィジー・ナンディ空港


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